新選組とは
概要
新選組は幕末・京都の治安部隊。隊員数は約60名。預かり主は会津藩主・京都守護職の松平容保。
京都に潜伏する過激派の尊王攘夷論者や、不逞浪士の取り締まりにあたった、いわゆる佐幕派。尊王攘夷派の蜂起の計画を阻止した「池田屋事件」での働きが有名である。
また局長の近藤勇らは内部で権力闘争を繰り広げ、敵対勢力は容赦なく粛清した。「局中法度」と呼ばれる決め事も制定され、脱走者は発見次第、屯所に連れ戻され切腹、もしくは粛清された。
組織の名称については2つあり、武家伝奏(当時は野宮定功と飛鳥井雅典)から賜ったという説、松平容保から賜った説がある。また「新選組」「新撰組」等と記述されるが、局長の近藤勇自身も「選」「撰」両方の字を用いている。
装備
新撰組といえばドラマ等で見かける、山形の模様(ダンダラ模様)の装束や「誠」の大きな一文字が目立つ隊旗がよく知られている。
装束は袖口に山形の模様(ダンダラ模様)を白く染め抜いた浅葱色(薄い水色)の羽織を着用したとされている。ただし池田屋事件の時に着用していたとする証言が最後の記録で、採用された期間は1年ほどであったらしい。製作は大文字屋呉服店(現在の大丸)とされている。(諸説あり)
また隊旗は赤地に金または白字で「誠」を染め抜き、隊服と同じようにダンダラが入っていた。他にも6種類の隊旗があったとされている。この隊旗が現れたとき、敵は恐怖で凍りついたと言われている。隊旗は特注で、現在の高島屋にあたる、古着・木綿商によって製作された。
新選組の歴史
結成の経緯
文久2年(1862年)、江戸幕府が将軍・徳川家茂の上洛に際し、将軍警護の名目で浪士を募集。翌年2月27日、集まった200名余りの浪士達は浪士組として江戸を出発した。
だが京に到着後、この警護を健策した庄内藩郷士・清河八郎が浪士組を天皇配下の兵力にしようとする画策が露見。浪士組は江戸に戻る者、残留を主張する者に分かれた。
浪士取締役は残留する者を募り、これに応えた近藤勇を中心とする試衛館派と芹沢鴨を中心とする水戸派は、京の壬生村に残り、新選組の前身である「壬生浪士組」を結成。壬生村の八木邸や前川邸などを屯所とした。
隊士募集の結果36人余の集団となった壬生浪士組は、京都守護職松平容保より、攘夷倒幕派浪士達の不逞行為の取り締まり・市中警護を任される。同年に起きた八月十八日の政変に出動した際、御所の南門を守った働きを評価され、新たな隊名「新選組」を拝命した。
内部抗争と発展
文久3年(1863年)9月、近藤ら試衛館派は芹沢ら水戸派を粛清し、隊を掌握する。
元治元年(1864 年)6月5日に起きた池田屋事件では尊王攘夷派の蜂起の計画を未然に防ぎ、禁門の変に参戦。両事件での功績は朝廷・幕府・会津藩より評価され、感状と200両余りの褒賞金を下賜される。
同年9月には第二次の隊士募集を行い、新選組は200人を超す集団へと成長。壬生屯所から西本願寺へ本拠を移転した。二次募集にて参加した伊東甲子太郎、藤堂平助らの一派は思想の違いなどから隊から離れるが、同年11月、新選組によって粛清された。
慶応3年(1867 年)夏頃には、近藤・土方ら幹部が幕臣に取り立てられる。
解散・終焉
慶応3年(1867年)11月、徳川慶喜により大政奉還が行われた。新撰組は旧幕府軍と共に鳥羽・伏見の戦いに参戦したが、新政府軍に敗北。隊士の戦死や分離を経て流山へ移動したが、近藤が新政府軍に捕われ、慶応4年(1868年・明治元年)4月に処刑される。
その後新選組は、蝦夷共和国の成立を目指す榎本武揚らに合流。二股口の戦い等で活躍したが、弁天台場での戦闘中に土方歳三が銃弾に当たり死亡。補給物資も尽き降伏した。旧幕府軍は函館の五稜郭において、新政府軍に降伏した。
新選組・簡易年表
| 年 | 月 | 出来事 |
|---|---|---|
| 文久3年(1863年) | 3月12日 | 会津藩お預かりに。壬生浪士組と名乗る |
| " | 9月18日 | 内部抗争で芹沢鴨、平山五郎が粛清される |
| 元治元年(1864年) | 6月5日 | 池田屋事件 |
| 元治2年(1865年) | 2月23日 | 山南敬助が脱走、屯所にて切腹 |
| " | 3月10日 | 西本願寺に屯所を移す |
| 慶応2年(1866年) | 9月12日 | 三条制札事件 |
| 慶応3年(1867年) | 3月20日 | 伊東甲子太郎、藤堂平助ら13名が離隊 |
| " | 6月10日 | 幕臣として取り立てが決まる |
| " | 11月18日 | 油小路事件/伊東甲子太郎、藤堂平助ら刺殺される |
| " | 12月7日 | 天満屋事件 |
| 慶応4年/ 明治元年 (1868年) |
1月3日 | 鳥羽・伏見の戦い/隊士2名戦死 |
| " | 1月5日 | 淀千両松の戦い/井上源三郎ほか隊士14名戦死 |
| " | 3月12日 | 永倉新八、原田左之助らが靖兵隊となり、離隊する |
| " | 4月3日 | 近藤勇が新政府軍に投降、同月25日 板橋で斬首 |
| " | 4月12日 | 土方歳三が旧幕府軍に加わる |
| " | 5月30日 | 沖田総司が肺結核により死亡 |
| " | 8月24日 | 山口二郎(斎藤一)ら13人が会津に残留 |
| " | 10月26日 | 旧幕府軍、箱館五稜郭へ入城 |
| 明治2年(1869年) | 5月11日 | 一本木関門付近で土方歳三戦死 |
| " | 5月14日 | 相馬主計新選組局長就任、弁天台場の新選組が降伏 |
| " | 5月18日 | 旧幕府軍が降伏、戊辰戦争終結 |
